戦争終結後の昭和25年、初代 井上弥太郎が「井上ベーカリー」としてパン屋を創業。 物資の供給が安定してきた頃には、周囲の要請にも応える様に洋菓子・和菓子の取り扱いも加え、製造・販売を始めました。
丁度この時に、銘菓「かち栗最中」が誕生しました。これは丹波で生まれた最初の栗最中であり、まだ最中が世の中に浸透していない大変珍しい御菓子だったため、 その希少性や丹波栗を使った贅沢な美味が高く評価され、毎日売り切れが続くほどの人気を博しました。
弥太郎が亡くなり、若くして二代目 富士雄が後を継ぐことに、この時富士雄は弱冠二十三歳の若さでした。
富士雄は、パンや洋菓子と多方面に拡げた販売戦略を見直し、和菓子一本に絞ることを決意。 新たな商品開発に精を出し、銘菓井上の看板商品である「栄栗」「八幡」「かけはし」を開発しました。
丹波市柏原町の城下町から、車通りの多い、国道筋の現店舗へ移転。 冨士雄の長年の夢だった、借家ではなく、自社店舗での営業を果たしました。
二代目 富士雄の死後、滋賀県の和菓子の名店「たねや」に修行に行っていた長男 大生が後を継ぎ、三代目に。 時を待たずして、奈良県の洋菓子屋に勤めていた弟の宏栄(こうえい)も家業を継ぐために丹波へ帰郷、兄弟二人三脚での営業がスタートしました。
銘菓井上は、兄が培った和菓子の技術、弟が持ち込んだ洋菓子の魅力やエッセンス、両者の経験を掛け合わせて豊かな商品開発を行っています。 井上兄弟が初めて制作した商品「森の子」「丹波の森」は、銘菓井上を語る上では外せない看板商品にまで成長しました。